Negative Pop

現場

 私は写真が苦手だ。

 どうすればいい?セリフもなければ役もない、どこに肘を落ち着ければいいのかが分からない。ふわふわする心を支える杖さえもないから、心細いのだ。

 レンズとの距離に身を任せたり、空気を感じたり、服を感じてみたり、メイクを、シャッター音を、カメラマンの視線を、今日の身体の調子を…掘り出せそうなものを全て取り込み、煮出して出力させる。ことが毎度出来たら素敵なのだが、ドーンと自分を信じ切ることができた日なんて、数えるほどである。

 芝居には何かしらの明確な刺激があり、それを受け取る。または投げ返すルールが存在する。しかし写真にはそれが不明確であるように思う。感じる熱量も投げる熱量も、ほとんどが自家発電のように感じてしまう。あくまで苦手だと思って生きてきた私の見解である。

 舞山氏とは二十代前半の頃に出会ってはいたのだが、当時はイメージすることが出来なかった。あのかっこいい画の中に自分が存在するなんて、夢のまた夢だと、とりあえず布団に入ってみることさえしなかった。そして時は過ぎ、色々あった私の「今なら!」と思えるタイミングに「これだ!」と一目惚れしたシリーズを舞山氏が発表した。私は布団から飛び起き、夢心地のまま連絡したのだった。そして実現した「VISIONS」

 撮影日は玄人サーファーが心躍るような強風で、冬の訪れを感じる晩秋。打ち合わせでは「かっこいいに振り切る、笑顔はなし」の二点のみを決めていた。私は、楽しむこと、レンズと自分に集中することだけを誓い、ドキドキしながら準備をしたことを覚えている。衣装ヘアメイクは三パターン。私の「好き」と、少しの「背伸び」、それから「感情を羽織れる余白」があるセットでどれも気に入っている。

 「決め込まない」とレンズの前に立った時、拠り所となるのは僅かに揺れる自分だけだった。集中することに集中し、ふいに揺れたそれを捉えては燃やしていた。海のロケーションに進むにつれて、私は徐々に子供に戻っていった。カッコつけられなくなり、身体が跳ねて、意識が水平線を捕まえに行ってしまった。波打ち際の泡沫に「独りで立たなければ」と、半分は嘘みたいにそっと呟く。

無防備な私が、よりかかれる何かを探していたのだと思う。時に舞い、時に止まって、全身でかき集めた一瞬に閉じ込められた、幻影であった。

 「VISIONS」は沢山の方に見て頂き、素敵な感想をたくさん頂戴した。それらは当然、大きな糧となるだろう。

 私がレンズを通して引き寄せた支えは、あの写真に出会ってくれた貴方だ。

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